たたらとは
日本で古代から続いてきた製鉄法を「たたら製鉄」と言います。当社の所在地「宍粟市千種町」は「たたら製鉄」が盛んな地域であった事が知られています。7,8世紀頃の様子を記した播磨風土記にも千種町で製鉄が行われていた事が記されております。当地で産出される鉄(玉鋼・たまはがね)は「千草鉄」と呼ばれ、刀の原料となる良質な「玉鋼」は備前長船の刀匠にも珍重されていたようです。
現在でも町内の山々に一歩入ると、「かなクソ」(地元での呼び名)がそこら中に見つかります。「かなクソ」 とは「たたら製鉄」の際に産出される副産物で、正しくは鉄滓(てっさい)、ノロ、スラグなどの呼び名があります。「かなクソ」 が見つかる場所は「たたら製鉄」跡であることが分かります。
たたら製鉄の神 金屋子神
たたら製鉄の神 金屋子神
「金屋子神」(かなやごのかみ)とは、たたら場で働く鉄山師の人々によって信仰されてきた女の神様です。たたら場には金屋子神をお祀りする神棚や祠があったようです。今でも島根県安来市の金屋子神社に金屋子神は鎮座されております。
古代から続くご縁
安来市の金屋子神社の祭文に、下記の金屋子神の降臨伝承が記されております。
「高天原から、雨乞いをしている村人に応えて、播磨国志相郡岩鍋(現在の宍粟市千種町岩野辺)にまず天降った。しかし、自ら、元々西方に縁のある神であるとの理由で、白鷺に乗って、西方の出雲国能義郡黒田奥比田(現 金屋子神社の社地)の山林に着き、桂の木にて羽を休めていたところを宮司の祖先である安倍正重が発見し、長田兵部朝日長者が桂の木の横に神殿を建立したという。」
上記の祭文によると、千種町に降臨された金屋子神が白鷺に乗って現在の金屋子神社に移られたとされています。この伝承がいつの事なのかを知るすべはありませんが、当社は「たたら製鉄」ゆかりの地において鉄に関わる仕事をさせて頂いている事もあり、氏神様と同様に厚く信仰しております。そして、古代から「たたら」に関わって来られた先達の方々への感謝を忘れずに、今後も当社の事業を続けていきたいと考えております。